松永美穂・酒寄進一「ダブルス・トーク」第3夜

虐殺されたヨーロッパのユダヤ人のための記念碑:井口撮影

「作家ウ-ヴェ・ティムとクラウス・コルドン – 自身の家族史を語る」と題しての対談。3回目ともなると、お二人ともすっかりうち解けられた様子で、対談を心から楽しんでおられるのがこちらにも伝わってきました。いつも以上に内容が多岐にわたり、興味深くうかがったお話でしたが、悲しいかな非才の身、お話のわくわく感をお伝えするのがむつかしく、メモに毛が生えた程度の棒読み調の文章になってしまいました。お許しくださいね。ウ-ヴェ・ティムとクラウス・コルドンは同年代で多作、児童文学もたくさん書いていて、今回取り上げられる作品はどちらも自伝的な小説です。

『ぼくの兄の場合』(白水社)

ウ-ヴェ・ティムはこの本が出た2003年に来日し、ゲーテインスティチュート東京で朗読会が開催されたとのこと。その日が奇しくも兄の60回目の命日だったそうです。その時に松永さんはこの本を訳そうと決心されましたが、なかなか出版社が見つからず、15年目にしてようやく、ゲーテインスティチュートの助成も受けて日本の読者に届けることができたそうです。なんと長い年月でしょう。

1940年ハンブルク生まれのティムは終戦時5歳。ナチスの記憶がほとんどなく民主主義のもとで育てられたティムの世代はナチズムに自覚的だが、日本で言えば明治生まれの価値観を押しつけてくる父の世代とはさまざまな点で断絶・確執がある。父の死後継いだ家業をたたんでミュンヘンの大学へ。当時は学生運動のさなか、バリバリの左翼活動家になる。71年に作家デビュー、74年「暑い夏」で注目される。

小説でも作家とおぼしき語り手が、1925年生まれの兄について、さらに家族である父、母、姉について、思い出や手紙、兄の日記などを手がかりに家族史を記していく。15も歳の離れた兄、受けた教育もまったく異なるだろう兄は、主人公が3歳の時東部(ロシア)戦線に送られ、大砲の弾が当たって負傷、両脚を切断。あと2週間もしたら家に帰れると家族に手紙を書いたあとで死んでしまう。

フィクションとは言えど、ほとんどが実話の、自伝的小説。主人公にとって兄=父であり、父がどういう人なのか知るにも長い年月がかかった。戦争と向き合うことになるため、家族全員が亡くなってからようやく書けた。家族がくっきりと浮かび上がるだけでなく、向き合う自分にも光が当たる。
大事な兄だが、日記の中でロシアの若い兵士を撃ち殺したという記述があるなど、ティム=主人公は日記の短い文言をどう受け止めていいのか悩む。また子どもながらに、敗戦後の大人たちの話、たとえば酒場談義や家族の会話のような内輪話を覚えており、そこから一般庶民の「戦争責任」を考えざるを得ない。
あの時代のドキュメントとしての価値もある小説。日本でも共感を得られるのではないか。

『Das Karussell(回転木馬)』

この本は酒寄さんが日本で翻訳を出そうと奔走中なのだそうです。そのためストーリーの紹介だけになりましたが、会場に居合わせた人たちはあらすじだけできっと読みたくなったと思います。今までに5社から断られたそうですが、とてもおもしろい本なのでまだまだあきらめないとのことでした。

コルドンは1943年生まれ。息子を一目見たいと無理矢理休暇を取って戦線から帰ってきた父に抱かれたきり。父は同年11月に行方不明となった。
コルドンに父の記憶はないが、母宛の手紙がたくさんあり、また親戚などから聞いた話で父親像が形成された。

戦後、母は東ベルリンに所有していた酒場を切り盛りし、夫の戦死が判明して再婚したが、母が死ぬとコルドンは無慈悲な義父に追い出され、東ドイツで孤児として育つ。1972年に西へ行こうとするが失敗、逮捕され収容所にいれられるも、西ドイツ政府がお金と引き替えに西へ移住させてくれた。ところが当時の西ドイツは大学紛争たけなわ(ティムと同じ)。西ドイツで生活を支援してくれた男はRAF(赤軍派)シンパで、東から逃げてきたコルドンに「資本主義がどれほど腐っているか」を力説するというねじれた状況に陥る。

自伝的小説をコルドンは三部作で書いている。そのうちの第3部が今回紹介された「回転木馬」。父と母の生い立ちと出会いの物語だ。

主人公(コルドンの父)は孤児として育ったが、実の母は生きており、奉公先の主人と再婚して父親違いの妹もいる。自分は邪魔にされて引き取ってはもらえない。母と妹が孤児院に面会にきたとき、妹が回転木馬のおもちゃをくれた。それは彼にとっては家族とのつながりを示す唯一の品物だ。成人してこんどこそ自分の家族を持ち、生まれたばかりの息子を置いて戦場に戻る前、彼はその回転木馬を息子に与える。回転木馬が幼稚に思えるほどに成長した息子はある日、この回転木馬をなぜいつまでも大切にするのかと母にたずね、父の思いを知る。その数週間後、母は突然逝ってしまう。

ドイツと過去

ドイツ文学で、ドイツの過去は無視できない。それをどういう思想でどう書くのか、どういう視点で切り取るのかが問題。

例えばギュンター・グラス世代は自分の戦争体験がベース。まったく体験のない40年代生まれのティムやコルドンと比べると「ストレートには語れない」。1929年生まれの東ドイツ作家クリスタ・ヴォルフも『幼年期の構図』で時間の層を入り組ませ、二人称と三人称を複雑に切り替えて、非常にわかりにくい表現をしている。東ドイツの思想統制やファシズムに勝利したという前提は揺るがせないということがあったかも知れないが、ギュンター・ グラスの「ブリキの太鼓」(1958年)を見るまでもなく、1950年代はまだ戦争責任をストレートに語れない時代だったのではないか。
アンネの日記も東ドイツでは早くに出版されたが西ドイツではかなり遅れ、出版後もアンネの父親が非難されるなど、今なら考えられない状況もあった。

持ち物自慢

さてここからは楽しいお話。学生時代からなんどもドイツを訪れているお二人は、必然的に珍しいものをお持ちです。お仕事に必要ということで、酒寄さんは昔の時刻表をたくさんそろえていて、小説の中で鉄道を利用する話が出てきたら、時刻表を確かめて間違いも指摘できるそうです。またドイツ統一直後は旧東ドイツの骨董店でさまざまなものが売られており、ナチスの党員証やヒトラーの「ナマ写真」アルバムなどを購入したとか。それにはヒトラーのお抱え写真家だったホフマンが撮影した写真が多数入っていると思われるが、ホフマンのスタジオではエバ・ブラウンが働いており、そこでヒトラーが彼女を見初めて愛人にした、またホフマンの娘はシーラッハの祖母にあたる、などのエピソードもお話しくださいました。

松永さんは第一次世界大戦後のハイパーインフレ時のお札、しかも大急ぎで印刷されたので裏が白のお札をお持ちだそうです。またご兄弟が集めておられる懐中時計のなかに、ベルリンオリンピック出場者に記念として授与されたものがあるそうです。出場者の名前が刻まれているけれど、ちょっと調べてもどういう人かわからなかった、という松永さんに、酒寄さんが「ぼくはベルリンオリンピック出場者名簿を持っているから調べてあげますよ」とおっしゃていました。ガルミッシュ・パルテンキルヘン冬季オリンピックの名簿までお持ちだそうです。酒寄さん、お仕事に必要とはいえ、すごすぎ!

最後に

今回、ドイツ文学翻訳家の両雄といえるお二人が、一冊の本を出すまで15年もあきらめなかったこと、あるいは5社に断られてもまだまだ意欲的に出版社を探すことなど、率直にお話くださいました。また酒寄さんは『回転木馬』のあらすじを、「翻訳家を目ざしている方もおられるから」と、出版社に持ち込む「レジュメ」を使ってお話ししてくださいました。また自分がどのようにレジュメを書いているのか、具体的な方法も明かしてくださいました。
今回のお話は後進へのエールでなくてなんでしょう。お二人が後進を思いやってくださる温かいお気持ちに心から感激し、ちょっと涙がにじんだ夜でした。

第4回は6月(日は未定)。酒寄さんは日本におられないので残念ながら欠席されます。代打は明治大学の関口裕昭先生だそうです。

おまけ

お二人の持ち物自慢に感化されて(!?)わたしも1つだけ自慢します。 フンボルト大留学時代の「履修要項」です。

法学部の講義、赤ペンの先にあるのは、あの『朗読者』の作者ベルンハルト・シュリンクの名前です。『朗読者』は95年に発表されているので、その直前ですね。このころはもう作品が 完成していたのでしょうか。これは法学部の建物ではなく本館での授業なので、廊下ですれ違っていたかも!

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