「ラフィク・シャミとアンドレアス・セシェ: 他者からの眼差し」と題して翻訳家松永美穂さんと酒寄進一さんが対談されました。
お二人はそれぞれセシェもシャミも翻訳されていますので、ある意味クロストーク。まず酒寄さんがシャミを、松永さんがセシェを紹介して始まりました。
ラフィク・シャミ
酒寄:ラフィク・シャミ(Rafik Schami、1946年生まれ)はシリアのダマスカス出身。家族はイスラム教ではなくキリスト教徒。1965年、ダマスカス大学理学部に入学。
アサド矯正革命・政権樹立を機にドイツへ亡命(1971年)。化学を学ぶ。ドイツ語はほとんどできなかったが、トーマス・マン、アルフレート・デーブリン、ヘルマン・ヘッセなどを書き写して習得。小説家になる前は地元の幼稚園などで子どもたちに語り聞かせをしたりしていた。
シャミの持つ圧倒的な語りの力は生まれ育ったダマスカスの「語り部」の文化から来ており、それを西欧の「小説の手法」と結びつけた、さらに一貫して外国人の学者という「他者の視点」から物語を紡ぐ。彼の小説は「音としての言葉の魅力」を引き出して止まない。
長く短編や児童文学を書いてきたが、1995年『夜と朝の間の旅』から長編小説に。このタイトルはドイツ語で欧州を「夜の国(Abendland)」、中近東を「朝の国(Morgenland)」と呼ぶことをから来ていて、2つの文化の橋渡し、アイデンティティをめぐる物語である。
2003年のイラク戦争が契機となり、シリア版ロミオとジュリエット『愛の裏側は闇』(酒寄訳、全3巻、東京創元社刊)を2004年に上梓。片やカトリックの一族、片や東方教会の一族の、三世代にわたる骨肉の争いを描いた。
アンドレアス・セシェ
松永:アンドレアス・セシェ(Andreas Séché、1968年生まれ)。ドイツ人。大学でメディア学、法学を学び、雑誌編集者として日本に滞在。庭園に関する記事を書く。その後もプライベートで日本に滞在し、日本語学校に通う。日本語も上手。(ここで西村書店のHPにあるセシェの映像が映し出されましたが、セシェの日本語は若干関西アクセントが感じられる流ちょうな標準語でした)。
『ナミコとささやき声』(松永訳、西村書店)に出てくる石垣島にも滞在。日本の文化にも精通していて、同じ本に出てくる禅の公案や人名など、訳すときに調べるのに苦労したほど。日本のよい面を見て理想的に書いているように感じられる。ただ本人は、「ドイツの朗読会などで聴衆からよく日本について質問されるが、自分は小説で日本を紹介したいのではなく“ささやき声”や“静かな音”について紹介したいのだ」と言っている。
作品は哲学的で、セシェはストーリーテラーではない。シャミの小説の舞台がシリアでドイツではないように、セシェもドイツを書かずに日本やギリシャ、架空の島という「別の場所」を書いている。同じように日本が好きなセース・ノーテボーム(オランダの作家)との違いは、ノーテボームの彼の描く登場人物が日本をどれほど好きでも日本から拒まれているのに対して、セシェの登場人物は日本の文化にどんどん分け入っていく。
続いてお二人が訳されたシャミの小説について
松永:『夜の語り部』は20年ほど前、まだ2冊目か3冊目の訳書で、編集者に一杯赤字を入れられたことが勉強になった。7人の登場人物のボイス、職業、過去や地位などを書き分けるのに苦労した。今読むと結構うまく訳せていると思う。20年のロングセラー。(酒寄さんも、ぼくの中の『夜の語り部』は松永さんの訳の世界だとおっしゃっていました)
酒寄:他の作家でも訳文を音読するが、シャミは特に音読してリズムを作った。『愛の裏側は闇』は全部で300章(!)もある100年の物語で視点もリズムも変わっていく。この物語をつなげているのは名詞ではなく動詞や形容詞だと感じ、それが日本語でもわかるように訳した。最後はいろんな細部がすべてつながって1つのモザイク画が完成する。仕事場がある八ヶ岳の森の中で一人、4~5日かけて音読し(声がかれたそうです)、完成させた。
また、シャミにメールで質問を送ったら、それまで他言語の翻訳者の質問とそれに対する返答をまとめたデータを数ファイル添付し、的確な回答を数時間で返してくれたのには感心した。彼は語り部であると同時に科学者だと実感した。
ここで松永さんが私はシャミに会ったことがある、酒寄さんがぼくはメアドを知っている、等、「自慢」というか「競い合い」みたいなほほえましい応酬があり、冒頭で酒寄さんが「松永さんは意外におちゃめ」、松永さんが「ごめんなさいね、負けず嫌いで」とおっしゃっていたとおりの展開に。会場は笑いに包まれました。
松永さんはフランクフルトのブックメッセでシャミの講演を聴かれたそうで、「本当に話がうまい人。真の語り部」とのことでした。
セシェの作品について
松永:『ナミコとささやき声』翻訳時セシェにいろいろ質問したが、逆に「ナミコにどんな漢字を当てるのか」と聞かれた。セシェは漢字のこともよくわかっているくせに(笑)と思った。終盤で波に打たれるバイオリンが出てくるので「波子」ということは自明だが、ネタバレになってしまうので「ナミコ」にしている。「曲水の宴」など日本文化にも日本人より詳しいぐらいだ。
酒寄:『蝉の交響詩』は各章に曲が当てられている。その曲の長さとドイツ語を音読した長さが合わせてあり、また音楽の強弱にも一致するように書かれ、曲の進行に文章も合わせてあるので訳文も同様にした。例えば舞踏会で主人公がサンサーンスの「死の舞踏」をバイオリンで演奏するが、強い音の部分に濁音の入った語を当てるなどして極力原文に忠実にした。
その後の朗読でも、酒寄さんは音楽をかけて、強弱や節目、終わりが合うように朗読されました。また松永さんは音読せずに訳したとおっしゃっていましたが、『夜の語り部』の朗読を聞いていると日本語も語り部のリズムになっています。私は自分の子どもが小学生の時に読み聞かせましたが、読み聞かせしにくい本も多数ある中で、これは(話もおもしろいし)本当に楽しく音読できた覚えがあります。
翻訳あるいは作業について
酒寄さんの翻訳スピードの速さは有名なので、どのようにどのくらい翻訳されているのか、松永さんが酒寄さんに質問されました。
松永:翻訳家の友人が、「1章から訳し始めると、最終章でトーンが変わってしまうので、3章ぐらいから訳し始めて、最終章が終わってから1章に戻るようにするとトーンが合わせられる」と言っていた。酒寄さんはどうされているのか。
酒寄:自分は「面で訳す」、つまり、特にミステリーなど伏線があるので1章/1冊読んで俯瞰して訳す。1冊読んでから原文を見ないで訳したこともある。あるいは3章ぐらいまで訳して見直し、赤を入れてから4章を訳しはじめ6章まで訳したらまた4章から赤を入れ、という風にループで訳す。また登場人物にテーマ曲を決めておくと、曲を聴いてから訳し始めれば間が空いていても感覚が戻る。
松永:大変お忙しいのにいつこれだけの量を訳されるのか。
酒寄:大学の仕事から帰ってきてから夜訳すということはやらない。丸一日空いているとき、できたら3~4日空いているのが理想(ここで松永さんも頷かれる)。
松永:翻訳スピードは?
酒寄:波長が合うネレ・ノイハウスなら1日30ページ(日本語で50~60枚)は訳せるが、トイレに行くのも忘れるので体に悪い(会場笑い)。1か月のうち10日はゲラ、10日は新作を読み、あとの10日で翻訳。1か月200ページぐらい。
聴衆も松永さんも驚きのスピードでした。
そのほか
このあとクイズコーナーがあり、今回のテーマであったシャミの『夜の語り部』とセシェの『蝉の交響詩』が1冊ずつプレゼントされました。
さらに松永さんが新刊の訳書『わたしの信仰: キリスト者として行動する』をご紹介になりました。ドイツのアンゲラ・メルケル首相の講演やインタビューを集めた本で、教会関係の集会などで語った講演やインタビューが収録されており、彼女の信仰観・社会観・人生観がわかります。
(私はこの本を読み始めたばかりですが、聖書の日本語訳にもかかわられた松永さんでないと訳せない本だと思いました。聖書の言葉とメルケル首相の言葉の意味を深く考えながら読み進め、静かに内省することが必要と感じつつ、メルケル首相の知られざる一面を目の当たりにするようで興奮して読んでいます)
表紙の写真も穏やかな表情
西村書店
さらにどちらの作家の本も多数出版されている西村書店の社長さんがお見えになっていました。結果としてよい本を長く出し続けておられますが、ご自分がどのように本を選んでいるかなどを少しお話しくださいました。
私はこのブログで作家を紹介しようとジャパンナレッジや手持ちの文学事典などで探しましたが、シャミもセシェもほとんど載っていませんでした。セシェはWikipedia(日本語版)にさえありません。そんな知られざるすばらしい作家を見つけ出す鋭い勘を隠し持っておられるのがいぶかしいほどの、温厚でやさしそうな紳士でいらっしゃいました。
次回もあります
超一流のドイツ語翻訳家であるお二人の息の合ったお話で、楽しい時間があっという間に過ぎました。お二人も非常に楽しんでおられたご様子でした。そしてうれしいことに3回目もあるそうです。2月21日(木)。取り上げる作家はウーヴェ・ティム『ぼくの兄の場合』とクラウス・コルドンです(1930年代の物語とおっしゃったので『ベルリン1933』かと思ったのですが、新作かも!です)。