松永美穂・酒寄進一「ダブルス・トーク」

第1回「シュリンクとシーラッハ」

10月4日、ゲーテ・インスティトゥート東京で「ベルンハルト・シュリンクとフェルディナント・フォン・シーラッハ: 日常の中の現実とは」というテーマで対談がありました。

(イベントページより転載)ベルンハルト・シュリンク(1944年生まれ)とフェルディナント・フォン・シーラッハ(1964年生まれ)は、ともに法学者で、40代にミステリー作品で遅咲きの作家デビューを果たす。彼らの本はドイツで最も広く読まれている推理小説だ。彼らは一体自身の日常をどのように捉え、また時代の変化をどのように感じていたのか。
取り上げる作家と作品:
ベルンハルト・シュリンクの『朗読者』と
フェルディナント・フォン・シーラッハの『禁忌』

松永美穂さんや酒寄進一さんのお話はできる限り聞きにいっているのですが、お二人のトークというのは私が知る限り初めて。誠実な語り口で物静かな松永さんと、話し出したら止まらない(かもしれない)エネルギッシュな酒寄さん。どちらも作家と相性がぴったりで、出会うべくして出会ったのだなという気がしました。翻訳家と作家との交流も含め、興味深いお話でした。

シュリンクは松永さんが、シーラッハは酒寄さんがすべて翻訳されており、私も全部読んできました。どちらの作家も法律の専門家(大学教員/判事と弁護士)で世界的なベストセラー作家、と共通点は多いのですが、翻訳者お二人のお話によると性格はまったく異なるようです。走り書きのメモを見ながらまとめてみました。

シュリンクは戦争に非協力だったプロテスタントの学者一家に生まれたこともあり、作品ではモラルや哲学、「法はどうあるべきか」、「人を裁くとはいかなることか」といったテーマが扱われます。さらに、いつも「歴史」が絡んでいて、読者と一緒に「答えを出す」形になっています。

作品は内面を語るものが多く、意識の流れが記述されます。「あまりに女の人についてぐちゃぐちゃ考えすぎで、実は女の気持ちがわからないんじゃないかと思うこともある」と松永さんがおっしゃっていたのに私も激しく首肯しました(ただ、次回作はそんなことはないそうです)。

シーラッハは貴族の生まれで、祖父はナチスの高官。ドイツでは苗字だけでそうとわかる有名な人物。シュリンクのように内面を語ることはなく状況を記述していく。真実と嘘、美しさと醜さのような表と裏の間を揺れ動く。また生まれつきの障害で数字が色に見えたりする。そのせいもあって物語の流れに論理的なつながりがなく、行間や余白を読む必要があることが多い。子どもの頃は周囲と異なる自分と折り合いをつけるのがつらかっただろう。そのためエリートでありながら社会の底辺にいる人の弁護を引き受け、弱者の側に立つヒューマニストである、というようなお話でした。私も読んでいて唐突に色が出てきたり、話が飛んでしまうような部分で迷ってしまうことがあり、そういうことだったかと腑に落ちました。

ただ、これだけ作風も性格も違うのに、二人とも来日時に宿泊を希望したのが映画『ロスト・イン・トランスレーション』に出てきたホテルだったそうです。

シーラッハもシュリンクも、新作を発表すると必ずといっていいほどドイツのベストセラーリストに載ります。今ちょうど二人とも新作が出ていて、来年にはどちらもお二人の訳で出るそうです。

第2回「ラフィク・シャミとアンドレアス・セシェ」

11月8日には「ラフィク・シャミとアンドレアス・セシェ: 他者からの眼差し」と題して2回目の「ダブルス・トーク」が行われます。第1回と異なり、お二人がどちらの作家も翻訳されています。同じ作家でも翻訳家の個性が垣間見えるのではないか、とそれはそれでまた興味深い対談になりそうです。

取り上げられる作品はシャミの『夜の語り部』とセシェの『蝉の交響詩』。『夜の語り部』はずいぶん昔に読んだきりだし、『蝉の交響詩』は未読。当日までにシャミの『蠅の乳しぼり』(酒寄訳)やセシェの『ナミコとささやき声』(松永訳)も読んでいきたいと思っています。
参加は無料ですが事前申込みが必要です。 
 電話:03-3584-3203 

 

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