
日本翻訳者協会が2012年から「世界翻訳の日」に発行しているアンソロジー『翻訳者の目線』。私も毎年寄稿しています。こうして並べてみると年々厚みが増していますが、寄稿されている皆さんの翻訳にかける情熱もますます熱いですよ。
私はというと、そんな話ばかりでは読む方もしんどいかな、と毎年ちょっと外れたことを書いています。
今年はシーラッハの『コリーニ事件』について書きました。PDFでどなたにもお読みいただけます。自分の掲載文のみこちらにも掲載しました。
『翻訳者の目線』2015((こちらからDLできます)
翻訳の外側で
ここ数年、ミステリーはヨーロッパが熱い。フランスの『その女アレックス』(ピエール・ルメートル)は記憶に新しいが、「このミステリーがすごい!2015」海外部門第1 位など、名だたる賞を総なめし、史上初の6 冠達成だそうだ。また北欧ミステリーも、独特の雰囲気と登場人物の名前が似ている上になじみがなく覚えきれない(!)ことでミステリー好きを喜ばせている。スウェーデンの『ミレニアム』(スティーグ・ラーソン)、デンマークの『特捜部Q』(ユッシ・エーズラ・オールスン)など、どちらもシリーズ化されており、マイナー言語の翻訳者にとってもうれしいブームとなっている。
そして快進撃が止まらないのが今やドイツミステリーの代名詞となったフェルディナント・フォン・シーラッハ。この1 月に4 作目『禁忌』の邦訳が出版され、6 月には日本で舞台化までされている(世界初演)。私の周りでも、第1 作『犯罪』、第2 作『罪悪』の人気は高い。ところがいかんせん、第3 作『コリーニ事件』の評判は今ひとつである。ナチスの戦犯問題を扱った、なんだかめんどくさくて暗い話、という印象が先立っているように思う。本国ドイツでは、邦訳が出た時点ですでに35 万部を突破しているというのに。
著者がドイツで有名な弁護士であることを知る人も多くはないが、いったいどれくらいの人が日本でシーラッハという名にピンとくるだろうか。名字に「フォン」がつくから貴族の出(とは限らないが)、なんてことではない。彼の祖父はニュルンベルク裁判で禁固20 年の刑に処されたナチ党全国青少年指導者バルドゥール・フォン・シーラッハなのだ(ちなみに祖母はナチ党専属写真家ハインリヒ・ホフマンの娘)。刑期満了で釈放されたとき著者は2 歳。10 歳で良家の子女が学ぶ寄宿学校に入学した。ある日教室で開いた教科書に祖父の写真が載っており、その時初めて、「かつて毎日のように一緒に散歩したおじいちゃんの過去」を知ったという。『コリーニ事件』の訳者あとがきで酒寄進一さ
んも書かれているが、同じクラスや学年に、ヒトラー内閣外務大臣ヨアヒム・フォン・リッべントロップ、軍需大臣アルベルト・シュペーア、ヒトラー暗殺計画の失敗で処刑されたクラウス・フォン・シュタウフェンベルク伯爵、同エルヴィン・フォン・ヴィッツレーベン、同フェルディナント・フォン・リューニックの孫や孫娘がいたという。かつての呉越が同舟、すべて教科書に載っている人たちである。王室のないドイツで、ナチスへの関与とは無関係にこのような階層が存在し、子息が通う学校まであることに、私は心底おどろいた。
著者インタビューでシーラッハは「私の名前は私生活では何の意味も持たなかった」と語っている。裏を返せば、公的な仕事においてはその名前が影響したということになる。小説でも法廷でも、シーラッハは一貫して「法とは何か」、「罪とは何か」ということを静かに問い続けている。その中には祖父の罪も、そのような祖父を持った自分に何ができるのかという問いも、含まれているにちがいない。
おどろくような話はこれだけではない。ネタバレになってしまうが、『コリーニ事件』では時効に関してナチス戦犯に有利になる法の不備が暴かれている。そしてこの本がベストセラーとなり、出版後わずか半年で、ドイツ連邦法務省にこの法の不備を検討する調査委員会が立ち上げられたのだ。弁護士兼小説家の真骨頂、ドイツ国民も法務省もあっぱれ、である。小説で政治が動き、法律が書きかえられる、作り話のような本当の話なのだ。
それにくらべて、祖父がA 級戦犯被疑者として1 度は巣鴨プリズンにつながれたわが日本の首相たるや…と泣言を言いたいわけではない(いや、言いたいが)。歴史的背景を知ることで、日本では残念ながら人気のないこの作品も俄然おもしろくなりませんか、と自分が愛してやまないこの本を皆さんにお薦めしたいのだ。ふりかえって自分の仕事はというと、普段私が訳しているのは小説ではなく取扱説明書や特許明細書だが、時折社史の翻訳なども仰せつかる。ドイツ企業が偉いのは社史にもナチスとの関わりを明記していることだ。あたりさわりのない記述に終始している場合ももちろん少なくないが、良いことも悪いことも、こんなに書いてしまっていいのかしら、と思うほど詳細に記されていて、手に汗握るドラマがあり、翻訳はそっちのけで読みふけった本もあった。ドイツは企業レベルでも過去を隠さず「罪を認め、公(おおやけ)にする」ことが正義である社会だと思う。残念なことに、せっかく訳しても(しかもおもしろいのに)、日本語版ではその部分が割愛されてしまうこともあるのだが。
『翻訳者の目線』2012~2014 ブログ記事
『翻訳者の目線』2016ブログ記事
『翻訳者の目線』2017ブログ記事