JATアンソロジー「翻訳者の目線」
日本翻訳者協会では3年前から世界翻訳の日(9月30日)に会員によるアンソロジー「翻訳者の目線」を刊行しています。私も毎年寄稿しています。PDFでお読みいただけます。2014年版。2013年版の自分の記事をこちらにも掲載しました。
「辞書を読む」
正式名DEUTSCHES WÖRTERBUCH VON JACOB GRIMM UND WILHELM GRIMM、通称「グリムのドイツ語辞典」をご存じだろうか。童話で有名なあのグリム兄弟が編纂を開始した辞書である。兄弟が着手したのが1838年、途中で二人が亡くなり、後を引き継いだ人たちの手で終巻が配本されたのが1961年、全16巻33冊の壮大な仕事だ。依頼した出版社は当初、ドイツの家庭に広まったグリム童話のように一家に一冊の辞書を目指したらしいが、その思惑は大きく外れた。けれどもグリム兄弟は民衆の言葉である方言や民間伝承、しきたりや習慣を重んじ、当時の生きた言葉も辞書の中に多く取り入れている。弟ヴィルヘルム亡き後、残されたヤーコプが最後に取りかかった用語は「Frucht」であるといわれている。果物を意味するこの項目の本文の途中には注がつけられ、「この語をもってヤーコプ・グリムは永遠に筆を置いた」と書かれている。そのような注がつけられた辞書を、私は他に知らない。