2014年までに寄稿した翻訳関係のエッセイなど

JATアンソロジー「翻訳者の目線」

日本翻訳者協会では3年前から世界翻訳の日(9月30日)に会員によるアンソロジー「翻訳者の目線」を刊行しています。私も毎年寄稿しています。PDFでお読みいただけます。2014年版。2013年版の自分の記事をこちらにも掲載しました。

2014年版 (25ページ)

「辞書を読む」

正式名DEUTSCHES WÖRTERBUCH VON JACOB GRIMM UND WILHELM GRIMM、通称「グリムのドイツ語辞典」をご存じだろうか。童話で有名なあのグリム兄弟が編纂を開始した辞書である。兄弟が着手したのが1838年、途中で二人が亡くなり、後を引き継いだ人たちの手で終巻が配本されたのが1961年、全16巻33冊の壮大な仕事だ。依頼した出版社は当初、ドイツの家庭に広まったグリム童話のように一家に一冊の辞書を目指したらしいが、その思惑は大きく外れた。けれどもグリム兄弟は民衆の言葉である方言や民間伝承、しきたりや習慣を重んじ、当時の生きた言葉も辞書の中に多く取り入れている。弟ヴィルヘルム亡き後、残されたヤーコプが最後に取りかかった用語は「Frucht」であるといわれている。果物を意味するこの項目の本文の途中には注がつけられ、「この語をもってヤーコプ・グリムは永遠に筆を置いた」と書かれている。そのような注がつけられた辞書を、私は他に知らない。

私がこの辞書を初めて目にしたのは、アルバイトで貯めた十数万円で廉価版の古書を購入した友人の書棚だった。大切に並べられた辞書には手を触れるのもはばかられた。文学よりもドイツの映画や音楽、絵画や建築に興味が向いていた当時の私は、愛用のシンチンゲルの辞書こそボロボロになるまで使い込んだけれども、研究や論文のための辞書とは無縁だった。程なくして私はドイツに旅立ったが、数年間の滞在中、黒い本革背表紙金箔押しのオリジナル版はおろか、大判ながらペーパーバックで緑の表紙の廉価版さえ目にすることはなかった。

帰国後、新居の家具を探すために通販カタログのページをめくっていた私の目が、ある本棚の写真に釘付けになった。組み立て式の安っぽい棚に並べられた緑の背表紙は、数冊とはいえまさしくあのグリムの辞典ではないか。123年の歳月とルターからゲーテに至る幾万の文例が詰まった辞典のお役目が通販カタログのお飾りとは。それからというもの、カタログを目にするたびに書棚のページを見ずにおれなかった。グリムの辞典は、ドゥーデンの7冊揃え7色のカラフルな辞書と共にさまざまな会社のカタログで活躍していた。どのような経緯でその撮影スタジオの備品となったのだろう。背表紙を見かけるたびに忍びない気持ちになった。

私が通販カタログに気を取られていた頃、ドイツでは辞典のデジタル化が着々と進められていた。2004年には「DER DIGITAL GRIMM」が誕生し、33冊がわずか2枚のCDに収められた。真偽のほどは定かではないが、当時はまだOCRの精度が低かったために全巻が中国で手入力されたといういわくつきだ。立派な紙箱にはインストールマニュアルとは別にグリム兄弟の肖像を表紙にカラーで配した分厚い書籍も収められ、デジタル化の喜びに満ちあふれている。さらにCD1にはカッセルで隔年開催されるかの現代美術展「ドクメンタ」11に出品され、辞典にちなんだ作品「エンドレス・リスト」がスクリーンセイバーとして収録されている。ドイツ文化の面目躍如たる内容である。発売されて10年経ったこのCD辞書は、今も我が家の書棚に鎮座している。ところが聞くところによると、デジタルグリムが載るのはWindows7までで、8にはインストールできないらしい。完結まで足かけ2世紀を要したこの辞典も、CD辞書としての寿命はことのほか短かった。

グリムよオマエも末路はアプリか、と嘆くなかれ。現在はトリア大学がインターネット上で無料公開しており、私もしっかりネット辞書ブラウザに登録している。ヴィルヘルム・ハウフやハインリヒ・ベル、クリスタ・ヴォルフなど好きな作家を楽しみで訳しているときは時々お世話になる。兄弟の執筆当時から「無駄に詳しい」と批判されたといわれるが、これはもう辞書というより読み物である。読んでいるとどんどん脱線し、「無駄に詳しい」は褒め言葉ではないかとさえ思えてくる。普段の実務翻訳でこの辞書を使うことはほとんどない。仕事では実用的、専門的な辞書をできるだけ多く揃え、それらを最大限に活用することに重点を置いているからだ。所有している市販や無料のデジタル辞書は100タイトルを超え、自作辞書の用語も6万語に達した。検索しやすくするために紙の本や辞書もデジタル化している。けれどもよく使う30冊ほどの辞書は自炊せず、すぐ手が届く書棚に並べている。効率よく検索することばかりを考えていると息が詰まってしまう。辞書を読む歓びもまた翻訳という仕事の醍醐味だと思う。納期に追われる毎日だが、好きな作家たちの本とグリムの辞典がそのことを思い出させてくれる

2013年版  (11ページ)

「教わる、教え合う、そして教える」

先日ある勉強会で英文学を翻訳した。既訳がいくつもある作品だったが新
旧すべてに検討の余地があった。数百ワードの冒頭部だけで丸2 日、既
訳の論理破綻に始まり、時代背景、地形や気候、場面状況、話者の視点
移動、単語の意味や文の構造について、時代考証も含め議論が続いた。各人が参考図書や映像を持ち寄り、調べものは人海戦術的様相を呈し、皆がそれぞれの本領を発揮した。出版翻訳者の大先輩の「一人でやるのが怖くなった」という一言がその状況を的確に物語っていたと思う。

文学の翻訳に正解などないが、終わった後はやりきった爽快感があった。普段の技術翻訳とは使う頭が違うせいか意外なほど気分転換になり、心から翻訳が好きだということにあらためて気づかされた。共感し合える先輩や仲間に恵まれていること、教わる、教え合う、そして教えるということが、翻訳を勉強する上でいかに大切かを再認識したと思う。


「好きなだけ時間をかけて翻訳する」ことに至福を感じつつ、ベルリン留学時代に和独翻訳を教わった先生のことを思い出した。旧東独で大江健三郎の翻訳者であった先生はドイツ語が母語の韓国朝鮮系の女性で、東大に留学された秀才だった。授業で堀田善衛の随筆を翻訳していたとき、サーカスの「胴元」という言葉が出てきた。広辞苑に「賭博の主催者」とあるその言葉で、先生は2 週間以上悩まれたと思う。クラスで唯一人の日本人として「元締め」という意味もあると解説を試みたが、先生が納得される訳語はなかなか見つからなかった。そんなふうに先生の矜持を感じる瞬間は授業中何度もあった。どんな文章ならぴったりくるのか朝から晩まで考えている、と微笑んでおられたお顔が今も目に浮かぶ。記憶違いでなければ私たちが最初の教え子だったが、万事控えめな方で、教えるのは苦手よ、ともおっしゃっていた。それなのになぜ大学で講義されていたのだろう。この6 月に独日翻訳のセミナー講師をさせていただいて、先生のお気持ちがいくらか理解できた気がした。同じ道を志す若い人たちとの交流を無意識に求めておられたのだと思う。私も受講生とのやりとりは思いがけず楽しかったし、人に教えて初めて学んだこともたくさんあった。次回は来年でまだずっと先だが、自分の勉強がてら講義ノートを作っている。母校の図書館に出向いていそいそと調べものをする、そんな自分に実は私自身が一番驚いている。。

 2012年版

「『じゃがいも』ひと言でも」(20ページ)

今はもう翻訳に専念していますが、言葉で人を助けることのできる喜びを感じた駆け出し通訳時代の思い出について。

 

『翻訳者の目線』2015 ブログ記事

『翻訳者の目線』2016ブログ記事

『翻訳者の目線』2017ブログ記事

 

日本翻訳連盟「日本翻訳ジャーナル

「勉強、品質、自己管理」(2013年5月10日)

日々楽しみながら翻訳者として成長するためにこだわっている3つのことを書きました。

-仲間と主催している翻訳勉強会十人十色について

-品質向上の工夫について

-自己管理について

 

「かけがえのないもの -IJET-25実行委員を経験して」(2014年9月12日)

2014年6月に東京ビックサイトで開催された第25回英日・日英国際会議(IJET-25)の運営委員をつとめましたが、無事終了した感想を掲載いただきました。準備期間2年、参加者600名、セッション数60余の大イベントでした。大成功の興奮冷めやらぬ時に書いたつたない手記ですが、読み返すと今もそのときの感動がよみがえります。

セッションの内容が一部アルクのサイトで紹介されています。

IJET-25レポート

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