多和田葉子さんのカフカ「変身」

facebookのタイムラインで話題になっていた「新訳でびっくり。カフカ『変身』の主人公は、本当に「毒虫」に変身したのか」

 

新訳でびっくり。カフカ『変身』の主人公は、本当に「毒虫」に変身したのか」(米光一成)

冒頭の有名な一文、

Als Gregor Samsa eines Morgens aus unruhigen Träumen erwachte, fand er sich in seinem Bett zu einem ungeheueren Ungeziefer verwandelt.

の多和田訳

“グレゴール・ザムザがある朝のこと、複数の夢の反乱の果てに目を醒ますと、寝台の中で自分がばけもののようなウンゲツィーファー(生け贄にできないほど汚れた動物或いは虫)に姿を変えてしまっていることに気がついた。”

があまりにもこれまでの訳とかけはなれている、というのだ。筆者の米光さんはそのことを批判的に書いているわけではなく、文面からは彼のウキウキした気持ちが伝わってくる。私もそうだ。結論から言うと、多和田さんの頭の中に立ち現れたカフカの世界を、私は純粋にただ味わいたいと思う。これだけたくさんの既訳があるのに、他の訳とは違う、こんなところに連れてきてくれたのか、という訳でなければ、多和田さんに翻訳を依頼したかいがないではないか。

ウンゲツィーファー

 

私は研究者ではないし、カフカの作品もほとんどを「翻訳で」読んでいるので、うんちくを傾ける気もなければそのような能力も持ち合わせていない。ただ辞書的な解説を書くと、例えばUngeziefer は、

当時の人がUngezieferと聞いてどのような虫を想像したのかはわからないが)現代の画像検索では、まあ、ゴキちゃん的な、毒があるというより気味悪い虫だ(閲覧注意)。

https://www.google.co.jp/search?q=Ungeziefer&es_sm=93&tbm=isch&tbo=u&source=univ&sa=X&ei=JT4mVdiLDIr28QW_jIGgCA&ved=0CCoQ7Ak&biw=1280&bih=711

手元のKLUGE語源辞典を見ると、たしかに「いけにえに適さない動物」とある。旧約聖書ならいけにえは羊(またはヤギ?のような家畜)だと思うが、ユダヤ教ではどうなのだろう。グリムの辞典を引いてみると(このたった一語の解説だけでPDFに落とすと12ページ!もあるので一部をさっと読んだだけだが)やはり元々の意味は神への捧げ物に適さない「不潔で臭い腐りかけた肉、使い物にならない果物云々」と書かれている。

言葉の底に沈んでいる澱(おり)のような遠い記憶に光を当てようとした多和田さんの意図を、私は感じるのだが。

夢は複数?

 

さらに夢の話だけれど、原文は夢が複数形で書かれており、既訳より原文に忠実になっている。日本語で単に「夢」とした時、文法的には複数形も含まれているとして、果たしたそう読み取る人はいるだろうか。

「悪夢、というほどではないけれども胸が騒ぐような、胸が苦しくなるような、あるいは、不安をかき立てるような、忌まわしい夢を立て続けにいくつも見て、その夢から覚めると(もっとひどい悪夢が待ち受けていた)」という状況を、多和田さんは「複数の夢の反乱の果て」と表現されているのではないか。

神と悪魔の呼応

 

>> Ach Gott<<, dachte er, >>was für einen anstrengenden Beruf habe ich gewählt!Tag aus, Tag ein auf der Reise.

Ach Gott は、「しまった失敗した」というときに思わず出る言葉だ。米光さんが書かれているように、数行離れたところにある「悪魔(Teufel)」と対比させるのはある種テクニックだと思う。その「Der Teufel soll dich holen」も、実は「くたばっちまえ!」という意味だ。そういう「悪態」をそのまま訳すのは芸がないというか、陳腐になりがちだから。

家畜は辛いよ

 

さらに多和田さんが「酷な」と訳されているanstrengend。グリムの辞書によるとanstrengenという言葉は車を引かせるために馬などの家畜をつなぎ、こき使う、という状態から来ている。独和辞典を見ると「大いに働かせる、(力を)振り絞る、疲れさせる、負担をかける」などの訳語が並んでいる。そこから派生した形容詞anstrengendは「骨の折れる、きつい」というような意味になる(偶然なのか語源にまたもや動物が出てくる)。既訳の「辛気くさい」より「しんどい」に近いと思う(私の語感は関西弁。間違っていたらご容赦を)。

多和田さんのカフカ・ワールド

 

今後Ungezieferがひとり歩きしてどこかで物議を醸すかも知れないが、私は多和田さんにしか紡ぎ出せないカフカ・ワールドにどっぷりつかって楽しみたいと思う。しかも原文と比べながら!なんて幸せな巡り合わせだろう。多和田さんの『エクソフォニー-母語の外へ出る旅』を繰り返し読んだ私にとって。

さらに米光さんも書かれているように、『すばる2015年5月号』には『日本語が亡びるとき』の水村美苗さん(私は『私小説』が一番好き)と先日『風と共に去りぬ』の新訳を出された鴻巣友季子さんの対談も掲載されている。こちらも楽しみだ。今月のすばるは私にとって近年まれに見る、最強のラインナップだと思う。

 

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2件のコメント

  1. > 私は多和田さんにしか紡ぎ出せないカフカ・ワールドにどっぷり
    > つかって楽しみたいと思う。しかも原文と比べながら!なんて幸
    > せな巡り合わせだろう。

    今回の訳、井口さんみたいな人にはいいんでしょうね。多和田さんがなにを考えてあのような訳にされたのかは知りませんが、訳し方によって対象となる読者が変化するだけのことで、どう訳さなければならないというものではないわけですから。

    鴻巣さんの講演会を聞きにいったときにも似たようなことを考えたのですが(↓)、私は、日本語しか読めない、読みたくないという人に向けて訳したいと考えています。

    「翻訳調の功罪」
    http://buckeye.way-nifty.com/translator/2011/07/post-c298.html

    こんなふうに考えている自分から見ると、多和田さんの訳は反対の極であり、訳者としても読者としても手を出したくないと思ってしまいますが、それは、(多和田さんが意識されたかされなかったかはわからないけど)私のような人間は対象読者から外されているのだから当たり前ですよね。

    1. Buckeye さん、コメントありがとうございます!第一号です。光栄です。
      FBで議論されていたんですね。全然気がつきませんでした。今さっき読みました。知っていたらこの記事投稿しなかったかもしれません(汗)。Buckeye さんのおっしゃることも、ほかの方がおっしゃっていることも、もっともだと思います。

      さすがに多和田さんぐらいの方だと確信犯だと思うんですよね。色々考えた末にこのように違和感たっぷりの、実験的というか冒険的な訳にされている。ドイツ語のわかる人にだけ読んでもらいたいと思っておられるわけでもないと思います(滅多にないドイツ語がらみの話なので私が喜んでいるだけで)。もちろんドイツ語がわかる者にとってもえっ?と思う訳です。今まで馴染んでいた「変身」という小説が、ある朝突然変な「虫」になっちゃったようなもんですから。否定的な人はものすごく多いと思います。そしてこの訳が結果的に失敗だとしても、こんなの読まない、と思わないで読んでくれる人が増えたらいいなと、あえて全面的に肯定する意見を書いてみたのでした。私には評論は苦手で、辞書的な解説しかできなかったのですが、Buckeye さんの反応を見て、それも余計なお世話をしたのかもしれないなと反省しています。鴻巣さんが最近FBで書かれていたのですが、「読みやすい訳だとかえって不安になる」と批判されることもあるとのことです。いわゆる翻訳調に慣れ親しんできた方がいらっしゃるためでしょう。何をやってもどこかしら批判されるということはあるし、 Buckeye さんのように最初から読者対象から外すということももちろんありだと思います。

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