「ダブルス・トーク – 現代文学の紹介」第4夜

「ダブルス・トーク – 現代文学の紹介」第4夜は、ドイツ語から日本語に翻訳された絵本にフォーカスが当てられました。お話は松永美穂さんと関口裕昭さん。(ご経歴、著訳書詳細はこちらから) お二人ともが訳されている作家ということで、ゼバスティアン・メッシェンモーザーとカトリーン・シェーラーの作品をご紹介くださいました。

今回のお話は多岐にわたり、また、それはもう絵本ですから絵を見ていただかないと説明できないですし、表紙だけご紹介して、こちらではストーリーにはあまり言及しません(ごめんなさい)。ぜひ書店や図書館で実物をご覧になってくださいね。

さて、関口裕昭さんといえば、会場でも読んだことのない人はほとんどいなかった、あの『うんち したのは だれよ!』を翻訳された方です。

関口さんがまだ大学院生だった頃、知り合いの紹介で出版社に呼ばれ、何冊かの絵本からこの本を選んだのだそうです。「絵本だし、簡単だから1週間でできますよ」といって引き受けたところ、持って行った翻訳が編集者に真っ赤っかにされたのだとか。文学作品の翻訳と絵本の翻訳はまったく別物。そのあと、ああでもないこうでもない、編集者と何度も話しあってあの人気絵本ができあがりました。「真っ赤っか!」の効果で表紙の上に書かれている長~い題名がインパクトのあるタイトルになったのですね (英語版は長いままで「The Story of the Little Mole who knew it was none of his business」) 。松永さん曰く、関口さんはダジャレがお得意、なのだそうで、ご本人も、この本にある「にくやまにくえもん」のところでその特技が発揮できたとおっしゃっていました。

松永さんが初めて絵本を翻訳したときは、編集者さんにカフェに呼び出されて、「お互い読み上げっこしましょう」と言われ、客の少ないカフェの片隅で朗読し合ったそうです。やはり声に出して読むと、わかりづらいか所がはっきりしてくるし、よい経験だった、絵本の言葉は詩に近いので音読に耐えるリズムが必要だとも話されていました。

カトリーン・シェーラー

松永さんの「ヨハンナ」は電車の旅。ガタン、ゴトンなどの擬音語が出てきます。ドイツ語では擬音語や擬態語の役割は動詞が担っています。それを日本語にするときには擬音語・擬態語の選択が「音楽的な言葉」としてとても大切なのだそうです。また、小説とちがって注がつけられないので、ドイツの電車によくある「コンパートメント」も、日本の子供にわかるよう「へや」にする、さらに、ぶたのヨハンナの話し方は元気な女の子のせりふにするなど苦心されたそうです。また漢字とかなの配分なども対象年齢だけでなく中身に合わせて考える必要があるということでした。

この絵本は物語のシチュエーションが独特で、手書きの文字が使われていたり、色が塗り足されていく様子が見えたり、紙を小さくしたページが出てきたりと、子供が喜びそうな仕掛けが満載。もし15年前だったら、乗り物好きだった息子に、きっと読み聞かせたと思います。

きつねさんはうさぎさんを食べたいんだけど、待っているうちに寝てしまい、という、関口さん曰く「暴力を回避する」お話。

原題は「Wenn Fuchs und Hase sich Gute Nacht sagen(直訳は「きつねとうさぎが ”おやすみ” とあいさつし合ったら」。「へんぴな場所、人里離れたうらさびしいところ」という意味のイディオムのもじりで、グリム童話に出てきます(ルンペルスティルツヒェンが自分の名前を聞かれてしまう場面)。でも、そのニュアンスはいくらグリム童話に馴染んでいても日本の子供にはわかりません。こういうこともタイトルががらっと変わる理由のひとつかなと思いました。

(余談ですが、映画『僕たちは希望という名の列車に乗った』は原題が「Das schweigende Klassenzimmer」(沈黙する教室)なんですが、これ、ケストナーの「Das fliegende Klassenzimmer」(飛ぶ教室)のもじりで、ドイツ人ならタイトルだけで「クリスマスシーズンのギムナジウムで起こる事件かな」と想像できるんですよね)

お二人のお話の中で私が一番印象に残ったのは、「絵本の翻訳は、絵も重要。文章だけでなく絵の雰囲気も考えて翻訳する」という言葉です。なるほど、絵が訴えていることを考えないと、絵本の短い文章に込められた意味がわかりませんものね。私はもうそれだけで、今日来てよかったなと思いました。

「死」を扱うドイツの絵本

日本とは異なり、ドイツの絵本は小さいころから「死」を、それも周囲の人の死だけではなく自分の命についても考えさせるものがよくあるそうです。松永さん訳の『キツネとねがいごと』では、自分を迎えに来た死神をキツネが呪文でリンゴの木にくっつけてしまいます。そうして不死になったキツネは、周りはみんな死んでしまうし身体も老いていくし、ひとりぼっちで生きていくことがつらくなり、やがて死神を解放するのです。死なないことは幸せなのか、こどもが自分で考えるようになっています。ドイツ語のタイトルを調べて見たら「Der Tod auf dem Apfelbaum」(リンゴの木の上の死)で、日本だったら絵本のタイトルにはできないでしょう。

「死」というテーマに関して、関口さんは『フリードリヒばあさん』(別の作家のもの)を紹介されました。この絵本には何でもやってのけるすごいおばあさんが出てくるのだけれど、それは「ぼく」が聞かせてくれる物語の中のことで、おばあさんは実は寝たきりなのです。

ゼバスティアン・メッシェンモーザー

シェーラーの作品はきっちり細部まで書き込まれた美しい絵ですが、メッシェンモーザーはペン書きのスケッチに一部色をのせただけの余白の多い絵。『リスとお月さま』では黄色く塗られたお月様が強烈な光を放っていました。

関口さんによると、この作家のお父さんは正体不明の、子供から見ても何をしているのかわからない人だったらしく、シェーラーがよく得体の知れないおじさんを作品に書いているのは(どちらの本にも出てきます)、父親探しなんじゃないかということでした。ただ、松永さんも関口さんも、小説とちがって「絵本は自由に訳す、作家には連絡や質問はしない」とおっしゃっていました

『空の飛びかた』はペンギンに空の飛び方を教える本です。失敗ばかりでうまくいかないのですが、最後は・・・。

ごくごく短い文が多いので、絵の雰囲気を考えてペンギンのことを指す「Er(彼)」を「やつ」と訳したこと、「やつはついらくした」という部分を「あえなくついらく」としたり、絵に本がいっぱいかかれていたので、原文にはないけれど「かたっぱしから」という言葉を入れたり、関口さんが苦心された点をお話くださいました。また、作家の意図に合わせてわざと難解な技術用語を使ったりされています。

社会問題と絵本

そのあとは、これから日本に紹介したいという絵本を見せていただきました。この会の冒頭にゲーテ図書館長のおはなしがあって、現在のドイツでは子供向けの本でも重要テーマは環境保護や政治、難民問題とのことで子供たちの意識も現実の問題に直結しているようです。ご紹介の二冊も難民のお話でした。家族が死んだり、家を失ったり、避難先の学校に友達どころか居場所もなかったり、つらく悲しい運命が、色鮮やかな美しい絵で表現されています。これらの絵本が紹介されて、日本の子供たちにも、世界には死と隣り合わせの過酷な生活があるのだということが伝わるといいなと思います。

その他の本

最後はお二人の朗読、会場からの質問、絵本のプレゼントなど、いつものように楽しい時間でした。プレゼントの中には、松永さんが最近出されたラフィク・シャミの『言葉の色彩と魔法』もありました。挿絵は配偶者のロート・レープ。パウルクレーのような美しい表紙です。

それから関口さんは昨年オーストリアの作家、ミレーナ=美智子・フラッシャールの『ぼくとネクタイさん』を訳されています。作家が来日されたとき、私、サインをいただきました。ひきこもりの話なのに救いようのない暗さはなく、最後は希望のある終わり方なのですが、小柄で華奢で、女子高生のような外見とは裏腹に、フラッシャールさんの朗読が鬼気迫っていたのが印象的でした。

さて、最初、関口さんとのダブルス・トークと聞いて、ご専門のパウル・ツェランかな、『三十歳』を訳された松永さんはインゲボルク・バッハマンかな、などと想像していた私でしたが、予想外の絵本のお話、予想外に楽しめました。 次回は11月、お相手は浅井晶子さんです。

お詫び :今回はお二人の話が私の中で融合されてしまい、どなたがどれをお話になったか、わからなくなってしまった部分もありますことをお断り申し上げます。

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